「某罷り出ん事、仰せの仔細にも及ばず候と言えども、もし関白殿より宗像殿古来より今に至りて、その仔細をお尋ねある事も候はん時、始終明らかに存ぜられし人こそ然るべく候はん。我等は諸事案内知らざるに候へば、免じ玉はれ」
と辞退する。これを受けて許斐氏備が言うには
「貴殿不案内は他の者の案内よりは増さりて覚え候へば、他に譲り玉ふべからず。御太方(氏貞後室)にも左ぞ思し召し候はん。各々いかに。」
一座の人々は皆同意して、貞保が罷り出ることに定まった。>次へ
太閤殿下下向:1│2│34