忍びの者は不審に思い、近づいて見ると春雨の名残で土が濡れ、まだ乾いていない地面に錠の形が写っているのを見付け、その錠の形を写して尚持に報告した。尚持は大いに喜び急ぎ鍛冶屋を召し寄せこの錠を作らせた。そして夜討の用意をさせ、人々に鎧のわたがみ(両肩に掛ける部分)に相印をつくよう指示した。又鎧のない者たちには皆一様にたすきをかけて、たすきに相印をつけ、又相詞(あいことば)をもって戦うべしと約束事を堅く定めて三百余人を引き連れ、永禄三年庚申三月二十七日夜半過ぎに許斐の麓に忍び寄った。

密かに使いを出して、主馬允に作った合鍵を投げ入れて取らせ、今や門を開けんとするが、主馬は夜回りの隙をうかがいつつ暁になるまで門を開けない。

すでに横雲引き渡す頃(明け方に東の空に棚引く雲)ついに門を開けたので人々は城中に乱入し、鬨(とき)の声をどっと揚げた。 >次へ

氏貞嶽山開城:123456│7│89