古賀原合戦

さて立花の城攻めから帰ると、一同は立花勢の報復を予想し、処々に遠見の番を置いて守らせた。吉原源内左衛門典通は畝町鳥の巣村の高宮山の城にいたが、歩卒を処々に分けて置き見張らせた。翌年正月二十二日にその遠見の者が馳せ帰り、
「立花の城より其勢二・三百もや候覧。此方に向て繰出し候」
と言う。それで様子を見させると敵は小勢で、皆北へ下がっていくので赤間に寄るようには見えない。この城に向かうことは必定であると言う。その時城には侍十騎にもみたず、雑兵合わせて五六十人ばかりであった。

これではどうすることもできないというところに尚持が合図の貝を吹いて人数を集めた。 >次へ

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