多賀隆忠合戦

弘治三年多賀美作守隆忠は、大内殿滅亡の後大友に降参していたが、大勢を卒して立花に出張し、許斐の城を攻めようとした。 占部右馬助尚持はこれを聞いて
「何某隆忠が大友に降参して、忠節顔にこの城を攻めんという事こそ奇怪なれ。 寄せ付けては無念なり」
と七月八日本木の郷に出張し、合戦は数刻に及んだが、勝負更に決し難きところに、占部尚安が二百ばかりで横合いに馬を入れる。隆忠はこらえられず一度にドッと崩れて、右往左往に敗北した。味方は機に乗じて、追い詰め追い詰め討ちかける。隆忠は畝町(畦町)の川端で取って返して戦うが大勢に取りこめられて討たれた。多賀彦四郎も返し合わせ、勇を振るったが終に討死した。