<八所宮>宗像市吉留
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勧請したという、おおもとの八所宮。境内の説明によると、
本宮は天照大神のご両親を始め遡る事、神代四夫婦八柱の神をお祭りし八所宮という
八所の神は西海守護の神で神武天皇御東征の折、蘿ヶ岳に姿を顕し赤馬に乗り人民を指揮して皇軍を先導されたと伝えられている。この事からこの地域一帯を「赤馬庄」と言い、又吉き所に留り給うたが故に社殿の地を「吉留」と言う。
社殿は始め鶺鴒山(セキレイサン)の麓、御手洗池の辺に鎮座ましましたが、今を去る約千三百年前、人皇四十代天武天皇の白鳳二年十二月御神託により、現在の地鶺鴒山頂に御遷座された。六十代醍醐天皇の延喜年間には初代宗像大宮司中納言清氏も親しく参拝し、和歌を奉納している。 |
宮田に最初に来たのは占部源六だったという言い伝えがある。なんでも、宗像で戦に敗れ、血筋の絶えるのを避けるために、兄弟で宗像と鞍手に分かれて住んだのだという。源六が八所神社を勧請した人物だとすれば、1556年には宮田村にいたことになる。1556年(弘治2年)は、前年厳島の戦いで陶晴賢が亡くなった後であり、陶晴賢が立てた大内義長が弘治3年に毛利氏に攻められて自害する前である。宗像家も新当主鍋寿丸が山口より強制入部し、陶晴賢、ひいては大友氏の勢力に傾向していた時期である。家中、毛利氏につくか、大友氏につくか意見の定まらない時期であった。
時代が下って延宝8年(1680年)、神殿が再建されたが、その時の棟札には以下の記述があった。
奉再造神殿一字八所大明神 |
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筑前国宗像之庄長井鶴村 |
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延宝八年庚申孟夏吉日 |
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祠官 |
大村形部丞重時 |
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田原治平 |
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領主 |
占部治郎左エ門
榎本助右エ門
逮村中 |
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大工 |
半兵衛 |
1680年といえば、時はすでに江戸時代。宗像家滅亡以降である。宮田町誌によれば、延宝年間に入り、洪水や水害による不作が続き、飢饉、それに延宝5年には疫病まで流行し、翌6年には台風で5千軒余りも倒壊したとある。これらの続く不幸が八所神社の再建につながっているのだろう。領主と書いてあるが、この頃小早川氏などを領主という以外に、もっと小規模での領主という存在があったのだろうか。筆者の考えとしてはおそらく願主の間違いである。ただどの時点での間違いかは未確認である。同期の榎本氏は戦国末期に長井鶴城代だった榎本岩見守の子孫といわれ、長井鶴の歴代庄屋を勤めた一族である。一方、占部氏に関してはこの後ほとんど記録がみられない。
長井鶴の占部氏
長井鶴には古くから続く占部氏が今も居を構えておられる。山を背に立てられた家は、上段・下段に別れているが、3・4代前の兄弟で別れたらしい。古老の話では、昔戦に敗れてここへ来たのが始まりという。家系を絶やさない為に、兄弟宗像と若宮に別れ住んだとのことだ。
鎧と刀が残っていたが、二つの鎧は戦時中供出して今はないという。刀は、親類が病に倒れた時、刀を始末するようにとの神託を受け始末したという。昔一帯を八反谷(ハッタンダン)といって、広い耕作地を所有されていたそうだ。八反谷の名を耳にした時吉原の里城があったという十殿谷(ジュウトンダン)を思い出した。甘木の占部氏も山奥に住んでいたのを思い出す。武士とは山、或いは斜面を背に谷間に住むものらしい。住み心地より身の安全を先に考える暮らしなど今は到底想像できない。炭鉱があった時代は、すすが飛来し大変だったそうだ。最近は新しくできたバイパスに住みかを奪われたイノシシが出るので怖いという。この間訪れた時には、スズメバチに刺されたということだった。先祖の土地を護っていくのもなかなか苦労と忍耐が必要らしい。
長井鶴の占部家の墓には珍しい墓碑がある。宮田町誌でも紹介されているもので、この二基は夫婦墓である。
町誌曰く
「向かって右が夫の方で人形も毅然たる男子を表現し享保12(1727)年の刻銘をもつ。かたや左が妻のもので人形は見る通り豊かな胸をもって全体に柔和な女子の姿を示し、寛保元(1741)年の銘がある。」
これは占部源六夫婦の墓だという。
宮田町誌の境内遺物一覧の表には
三所神社 石塔一対 元禄11戌寅天八月吉日 奉寄進宮田三所宮長井釣(鶴か?)村占部源六
八所神社 石塔 元禄八乙亥天二月吉日 長井鶴村占部□□
の記録が残る。八所神社石塔の奉納も占部源六だろう。元禄8年は1695年、同11年は1698年のことであるから、人形墓の主である占部源六その人であるに違いない。又、この源六という人は即ち源六友房であるということになっているが、源六友房というのは弘治二年(1556年)、田原右馬頭親和と共に神託に依って八所神社を勧請した人物の名である。同じ名を何代にもわたって名乗ることは珍しくない時代であるが、源六のみならず友房までもそっくり同じ人物が二人いるのだろうか。又一つ課題が増えたようだ。