2012/05/1改訂版

占部家の源流系図総覧

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この系図は、『古代氏族系譜集成中巻』 編著者 宝賀寿男氏 を元に作成したものです。

【中臣/卜部系図】

天児屋根命(A)┬天忍雲根命─天種子命─┬宇佐津臣命─御食津臣命─伊賀津臣命─梨迹臣命─┬神聞勝命─国摩大鹿島命─臣狭山命──────────┐
              │                      │                                              │                                                    │
              └萬幡千々比売命        └大日諸命 春日部村主祖・・・                   ├兄勝命─伊波古命─殖坂命┬多伎油布命⇒【武蔵ト部】  │
                                                                                      │                        │                          │
                                                                                      │                        └五十手命⇒【伊豆ト部】   │
                                                                                      └弟勝命⇒【常陸ト部】                                │
                                                                                                                                            │
┌─────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│
├雷大臣命(B)──┬大小橋命───阿麻留舎連(賜姓中臣連)
│                │                
│                ├(C)真根子命(真根子乃直)──┬神八子足尼(壱岐直、伊吉宿祢祖)⇒【壱岐ト部】
│                │                              │
│                ├弟子命                        └油支子直(津島直、直宿祢祖/対馬のト部)─┐
│                │                                負、対馬下県直姓                        │
│                └日本大臣                                                                │
│                                                                                          │
└彦狭山命                                                                                  │
                                                                                            │
                                                                                            │
【対馬下県直、卜部】                                                                        │
┌─────────────────────────────────────────────┘
│
│                  下県郡阿麻氏留神社(氏は下に_ ) 
└弥加多乃直───(D)小枚宿祢乃直──────────波夜古乃直───┬伊志古乃直───赤魚(津島直・直宿祢祖)
                      顕宗天皇三年日神ヲ令斎祀                        │ 
                      対馬下県直侍祠                                  └(E)阿多加乃直───氏良( 氏の下に_ ) ──荒田麻呂─┐
                                                                            小治田朝供奉    庚午年籍                          │
                                                                            為、卜部    負、卜部姓                        │
                                                                                                                              │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────┘
│                                                                               上県郡擬主帳
└加豆良─┬菅万呂─────────────┬莵──百足──┬黒麻呂──┬川知麿(天安元年6月射殺国守)
          │                                │              │          │
          ├石垣──総麻呂─┬大成──夏常  │              │          └浜主
          │                │              │              │                              外従七上                宗像神社祝部
          └猪足            └柏主          │              ├荒嶋───┬浄成──海雄──┬(F)眞岡────┬滋並──安用─┐
                                            │              │          │                │貞観五年四月任  │              │
                                            │              │          ├浄継──春相    │筑前国宗像郡主政└恒並─┬貞守  │
                                            │              │          │                │                        │      │
                                            │              │          └乙成            │                        └貞道  │ 
                                           │              │                            └浪継──┬安貞──元成          │
                                           │              │                                      │                      │
                                            │              └三田次───祢主                      ├恒貞                  │
                                            │                                                      │                      │ 
                                            │                                                      └邦貞                  │ 
                                            ├眞鮪──田万呂─┬氏足───年主───乙屎麻呂                                │
                                            │                │                    貞観十二年紀「対馬島下県郡卜部乙屎麻呂、│
                                            └倉足            └山万呂──豊貞      (ロジチョウ)ヲ捕フル為二新羅堺二向フ」  │
                                                                                           *参照1へ                        │ 
                                                                                                                            │ 
┌─────────────────────────────────────────────────────────────┘
│
└福茂───茂長───氏長──┬兼長──┬兼澄───兼保───兼世──┬兼総(占部太郎大夫)
                              │        │                            │       
                              └兼本    ├兼吉                        ├兼友(二郎)
                                        │                            │
                                        ├安長                        ├兼平(四郎)
                                        │                            │
                                        └吉長                        └兼安(占部六郎)⇒
                                                                        占部家初代

*参照1:ロジチョウ=鸕鷀鳥
乙屎麻呂(おとくそまろ)は対馬の下県(しもあがた)郡に住んでいたが、鸕鷀鳥(ろじちょう)を捕るために新羅との国境に行き捕まったという。
現地で見た軍事演習が対馬攻めのためであることを知り、貞観(じょうがん)12年(870年)脱走して大宰府に報告した。「コトバンクより」

A)天児屋根命(あめのこやねのみこと)

父:興台産霊神(こことむすびのかみ)
「日本書紀」神代巻に「中臣の上祖(とおつおや)」「神事をつかさどる宗源者なり」と記され、中臣氏の祖神とされている。
父同様、高天原で祭祀をつかさどり、天照大神の侍臣として仕えた。
天照大神が天の岩戸に隠れた時、非常な美声の持ち主であった命(みこと)は、岩戸の前で祝詞(のりと)を奏する役を務めた。
後に、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に従い、国政に参与し国土経営を助けた。
主な任務は祭祀(神と人との中を取り持ち仕える役)をつかさどることである。
神社:枚岡神社(大阪府東大阪市出雲井町)・春日大社(奈良県奈良市春日野町)・春日神社(福岡県春日市春日) 他全国多数

B)雷大臣命(いかずちのおおおみのみこと=真根子の父)

別名:烏賊津使主命・跨耳目命・烏賊主命
母:忌部玉櫛命(いんべたまくしのみこと)の娘、弥麻志姫命
穴門之豊浦大宮(あなとのとゆらのみや)朝(=山口県下関市長府町豊浦 仲哀天皇朝)供奉。
神功皇后が新羅を攻めた折、お供する。 亀卜の術に達してト部姓を賜った。
豊明大宮=軽島豊明宮(かるしまのとよあきらのみや)朝(=現在の奈良県橿原市大軽町(?) 応神天皇朝)供奉
高津大宮朝=難波高津宮朝(=大阪府大阪市中央区高津 仁徳天皇朝)供奉
神社:雷命神社(長崎県対馬市厳原町阿連)・雷神社(長崎県対馬市厳原町豆酘)・太祝詞神社(ふとのりとじんじゃ=長崎県対馬市美津島町加志) 他

C)真根子乃直

壱岐には卜部の始祖として真根子の伝説が残っており、通常は壱岐直(いきのあたい)真根子と呼ばれている。この系図によれば、壱岐系と対馬系に分かれたのは真根子の子供の代である。
大臣として国政を補佐していた竹内宿祢(たけうちのすくね)に従っていたと考えられ、宿祢が異母弟の讒言によって応神天皇に殺されそうになった時、容貌が似ていたということで竹内宿祢の身代わりとなって死んだという。母が竹内宿祢の妹だとすれば、うなずける話である。
父:雷大臣命
母:竹内宿祢命妹忍姫命
子:神八子足尼=壱岐直。伊吉宿祢祖
    油支子直=対馬下県直姓を賜る、津島直・直宿祢祖 
神社:壱岐神社(福岡市西区下山門)・織幡神社(おりはたじんじゃ=福岡県宗像市鐘崎)・伏尺神社(ふしじんじゃ=佐賀県武雄市若木町)
    真根子神社(福岡市西区姪浜)他

D)小枚宿祢乃直(おひらのすくねのあたい)

下県郡阿麻氐留(あまてる)神社
顕宗天皇(在位485−487)3年、日神を斎祀せしむ
対馬下県直(つしましもあがたのあたい)祠に侍る
同本伊伎直、伊伎宿祢の系図を見れば、神八子から三代目押見宿祢(おしみのすくね)の個所には、顕宗3年、天皇が月読神を山背国葛野烏田に祀ったとの記述があって、同時期に中央進出を果たしたという話を裏付けるものと思われる。 小枚宿祢乃直は同年代と思われるから、理屈から言えばこの人物が対馬から中央へ進出したということになるのだが、残念なことに、上記の記述だけでは対馬下県郡の阿麻氐留(あまてる)神社を祀ったという話なのか、奈良の地名が抜けたのか内容が明らかではない。又、他系図によれば、真根子命から押見宿祢までまだ数代あることになっている。
参考)真根子命――御身足尼命――大田彦命――酒人命――神奴子(神八子)命――忍見(押見)命
神社:小牧宿禰神社(おひらすくねじんじゃ): 長崎県対馬市峰町(對馬嶋上縣郡)

E)阿多加乃直

『阿多加乃直は小治田(おはりだ)朝供奉 為ト部』との記載があるが、卜占の担当者として朝廷に仕えたという意味であろう。 小治田朝とは推古天皇朝(554−628)のことで、小治田は小墾田とも書く。小枚宿祢乃直が日神を祀ったという487年から推古天皇が小治田宮(おはりだのみや)に移ったという603年までは100年以上の時が経っており この間数代の省略があることは間違いない。子の氏長(氐 氏は下に_の字)は庚午の年に卜部姓を賜ったという。庚午の年といえば、610年か670年のことであろうか。

F)眞岡

貞観5年(863年)4月に筑前国宗像郡の主政に任ぜられたという。律令制度下、中央から派遣された国司の下で郡を治める地方官として郡司が置かれたが、主政とは郡司の四等官(大領・少領・主政・主帳)の内の一つである。宗像に着任した最初の卜部(占部)はこの人物と考えられる。

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