氏貞嶽山開城 《その2》許斐城奪回尚安の子右馬助尚持は智略のある者であったので、郎等の弘中三郎・縄分彦太郎を呼び寄せて言うには、「我がこの小勢をもって許斐の奴留湯、麻生鎮氏を攻めんことは、かまきりが斧をあぐるにひとしかるべし。毛利殿に加勢を乞むも、今は石州出雲のご合戦の最中なり。さりとて空しく年月を送り我が祖父の取り立て給ふ城に、敵を入れ置くは無念なり。いかにもして計略をめぐらし、奴留湯、麻生を討ちて、城を取返すやう有らん。」と評定する。すると、そこに神屋主馬允という者がまかり出た。 >次へ |
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