島津軍北上主君を失い宗像奉行達の心は「闇夜に燈(あかり)を消し、盲者が杖を失うに似たり」であったが、心中では悲しんでも表には表すことも出来ず、さりげない様子を装いながら時を過ごしていた。 ところが夏になると、世の中が騒がしくなる。どうやら薩摩が当国を目指して北上してくるらしい。七月十一日には薩摩勢数万騎が三笠郡岩屋の城を攻めにかかったと聞く。敵が岩屋城に取り掛かっている内は暫く安心と思いきや、同二十七日にあっさり落城し、立花城に向かったという。 この分では宗像にも近々合戦の時が来るだろうから、油断は禁物と言い合うが、何分当主の氏貞がいないので、何事も取り決めが進まない。>次へ |
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