福岡県の北九州市から福岡市に向かう途中に、宗像(ムナカタ)市・郡がある。今は福岡市のベッドタウンになっているが、北は玄界灘に面し、東西南を山で囲まれた平野である。裏伊勢と呼ばれる宗像大社がここにある。占部は宗像大社の神官であり、宗像大社の大宮司宗像家の家臣であった。浦辺・浦部姓は多いが、占部姓は珍しい。今では全国に広がっているが、その殆どがこの地域の出である。田中氏や鈴木氏のように数が多かったら恐らくここまで熱心な先祖探しはしていなかったことと思う。数が少なかったので、どこかで皆つながっていて、一族の全貌がわかるのではないかという期待を持った。
親の代で宗像を出た著者は、宗像のことは殆ど何も知らなかった。先祖はおろか親戚すら探し出すのに一苦労であった。あきらめかけたその時、導かれるように新事実を発見する。その時の驚きと、喜び、感動の味は格別である。今も自分の家系については江戸末期から先がプッツリ切れてわからない。取れる限りの除籍謄本を取り、端から端までいくら見つめてもわからないものはわからないのだ。悔しい限りである。しかし、先祖探しの旅は自分でも思いもよらない方向へと発展した。占部から臼井ヘ..そして千葉から平氏まで..どんどん流れをさかのぼって行く。
ここ数年、日々の忙しさに足を取られて旅も足止めであったが、ここらで引き出しの中にたまっているゴチャゴチャの資料と情報を整理しておこうと思う。先祖探しは何時始めても遅いのである。刻一刻と貴重な資料や情報が失われていく。著者もあと数年早く始めていれば98で他界した祖母からももっと色々情報が得られていたはずである。 ほとんどの若者は先祖に興味が無い。過去よりも未来に多く関心があるからだろう。しかし、いつか知りたいと思った時に、このサイトが役に立ってくれればと願うものである。 |